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熊石から亀田まで、当時の和人地の円空仏の所在が周知されたのは、「新撰北海道史」 第五巻資料集第一(昭和十一年九月)に収載された「福山秘府」に、享保三年(一七一八)の 堂社調があり、その神体円空作とあるのが二十五ケ所(有珠のみ一ケ所は東蝦夷地)見出 されたからである。これを種本としてその現在をさぐることが、安富六男さんによってはじめられ、 田畑幸三郎さんや私などがそれにならった。これは神体として祀られたものであるが、この調査を 機縁として神社以外の寺院や個人宅にあるものも発見されて、今日まで二十五体の現存が 確かめられた。西の方から云へば爾志郡熊石町で熊石町の根崎神社、泊川の北山神社、 相沼の八幡宮、乙部町で花磯の本誓寺、元和の八幡宮、鳥山の地蔵堂、檜山郡江差町では 尾山の岩城神社、泊村の観音寺、五勝手の柏森神社、上ノ国町で北村の地蔵庵 (後、上ノ国郷土資料館に移す)、上ノ国の観音堂、木ノ子の光明寺、石崎の八幡宮及び 西村初男宅、木古内町の佐女川神社、札苅の西野神社、泉沢の古泉神社、福島町吉野の 吉野教会、上磯郡上磯町では茂辺地の曹渓寺、富川の八幡宮、上磯の八幡宮、函館市では 船見町の称名寺、亀田郡七飯町では大中山の富原喜久夫宅、戸井町では汐首の観音である。 上ノ国の地蔵堂に二体ある外はみな一体ずつで、根崎神社のものと上ノ国地蔵堂の一体が 立像である外はみな坐像である。
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