〜桧山地域を中心とする〜 北海道の円空仏(写真集「北海道の円空仏」より抜粋) |
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寛文5年(1665)頃に北海道に渡った遊行僧円空 (美濃の国出身)は、松前・蝦夷地を巡錫し、布教を行った。 鉈(なた)一挺をもって仏像を刻むのに妙を得ていた 円空は木端仏と呼ばれる仏像などをたくさん残したが、 その仏像は慈悲に満ちた微笑みをたたえ、 人々の心を和ませ信仰に導いたという。 遊行僧円空とは・・・ |
| ●北海道の円空仏分布図・解説(写真付き) |
| ●円空略年譜 |
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協 力 写真集「北海道の円空仏」〜1978/6/10発行〜 編集・制作/江差フォトクラブ(代表 松村 隆) 発行所/みやま書房 ホームページ編集・制作 桧 山 広 域 行 政 組 合 043-0052 北海道檜山郡江差町字茂尻町96 (TEL)0139-52-1955 (FAX)0139-52-1944 E-mail:info@kouiki.hiyama.or.jp(総務企画課) |
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えんくう 円空 1632‐95(寛永9‐元禄8) 江戸初期の遊行造像僧。美濃国(岐阜県羽島市上中町)の生れ。 若くして出家、尾張国(愛知県)師勝村の高田寺で金剛・胎蔵両部の密法を受け、諸国遊行の旅にでる。 1664年(寛文4)ころまで美濃地方にいて名古屋荒子観音寺などで造像,65年蝦夷(えぞ)地に渡る。 74年(延宝2)には志摩半島、その後は美濃・飛騨地方に入り、袈裟山千光寺や山間僻地(へきち)に 多くの仏像をのこす。 89年(元禄2)には伊吹山、日光などに遊行、翌90年ふたたび美濃・飛騨地方にもどって 晩年の円熟した彫像を刻む。 生涯、東日本を遊行し、造像活動をつづけた。 円空の没年は岐阜県関市の弥勒寺にある墓碑銘から明らかであり,生年については不明であったが、 上野国(群馬県)一宮の貫前(ぬきさき)神社旧蔵の写経の断簡に「壬申生美濃国円空(花押)」と あることから、1632年の生れであることが判明した。 円空は12万体の造像を発願して,多くの木彫仏を特異な彫法で刻んだ。 現存作だけでも5000体を数える。丸木の原材をいくつかに割り,割った面を巧みに生かして、 そこに岩肌のような面(プラン)の構成を生み、正面性を強調した。その「鉈(なた)ばつり」といわれる 荒彫り彫法の生むバイタルな表出は、現代造形の根底を刺激して大いに注目された。 平凡社「世界大百科事典」 丸山 尚一 |
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